「建築をかんがえるシリーズ」2回目は、視覚障害者の空間認知の研究を専門とする平井百香さんをお招きし、前半は、調査研究やご自身の実践から、視覚障害者が感じる空間についてお話しいただきました。後半は、質疑応答とし、視覚を超えた建築のかたちについて、議論を深めていきました。
シリーズ1回目で大変好評いただきましたおかげで、2回目もリピータ含め建築分野に限らない多様な知識背景をお持ちの方にご参加いただきました。議論では、参加者の方から様々な視点をご呈示いただいたこともあり、インタラクティブな議論となりました。(錦織真也)
講演者:平井百香 東北大学博士課程後期、一級建築士
ファシリテータ:錦織真也
報告者:花輪優香
2019.10.26(土)10:00〜11:30
@合同会社小川錦織一級建築士事務所
Ⅰ.レクチャー
祖父とダイアログ・イン・ザ・ダーク
平井さんは、視覚障害者であったご自身の祖父との生活の経験から、視覚障害者の空間認知に興味を持ち、大学生のときに、ダイアログ・イン・ザ・ダークに携わり、修士制作では視覚障害者の空間認知をもとにした住宅を設計しました。現在は博士課程に在学し、仙台を拠点としながら、継続的に視覚障害者の空間認知の研究を進める傍ら、ご自身の研究テーマをベースとして内装デザイン、住宅設計もされています。平井さんが今も関わっているダイアログ・イン・ザ・ダークは、暗闇の中を視覚障害者によるアテンドで進み、様々な空間体験をする、ドイツ発祥のソーシャル・エンターテイメントです。日本で開催されるプログラムは、日本人の感覚に適応したものにするためにかなり手が加えられているそうです。季節によって変化する環境を繊細に感受する日本人に楽しんでもらうために、主催者自らが良い香りのする落ち葉を厳選するなど、細部まで様々なこだわりを持って実現されています。この日は、聴講者の中に仙台でのダイアログ・イン・ザ・ダークを担当された方もおり、当時の体験談でも議論が盛り上がりました。
研究背景より、空間認知のパラダイムシフト
従来の研究では、歩行時に参照するものとして、点字ブロックやマンホールの蓋、マットなど、都市の中で目印となる「要素」に着目した研究がなされてきました。しかし、平井さんは、ご自身のダイアログ・イン・ザ・ダークでの体験から、『暗闇の中で空間を独立した「要素」の集積として捉えていたか?』『ある情報の断片から空間を想像することは、独立した要素に分断できないシームレスな世界の体験なのでは?』と考え、これまでの「要素」に着目した研究に疑問を抱いたそうです。
次に、平井さんの研究の背景として、1980年代におこった、空間認知に関する3つの心理学分野におけるパラダイムシフトを取り上げ、説明していただきました。
一つ目は、生態学的心理学におけるギブソンのアフォーダンス理論です。それまでの空間認知は、環境の刺激に対する反応という二元論の関係で捉えられてきましたが、ギブソンは、空間は要素(ドア、窓などのアイコンとして認識されるもの)の集積ではなく、人の動きと連動し、その動きに伴う視覚的な面の畳み込みの変化によって認知され、人の行動を引き起こすものだと指摘します。
二つ目は、環境心理学における人間の環境認識です。それまでは、目的地へ向かう途中に認識するランドマークの存在によって、人間が経路選択を行うという二元論として捉えられてきました。対して、I.Altomanは、環境も人間のとる行動によって変化し、またその変化を人間も感受し選択を行うという、人間と環境を相互浸透的関係を持つひとつの分析ユニットとして捉えるトランザクショナリズムとして提唱しました。このことにより、人の環境への適応や機会の構築といったアフォーダンスにもつながる理論に転換されていきました。
最後に、発達心理学で1985年に提唱された、ダイナミック・システム・アプローチの概念が紹介されました。子供の発達過程でみられる、ものを取るための手の動き(リーチング)の調査において、それまでは中枢神経系の発達により新たな動きを獲得するという二元論の説明が中心でした。対して、ダイナミック・システム・アプローチでは、動きが活発な子供は手の動きを抑制するバランス力が発達することで、そうでない子は十分な動きをするための筋肉が発達することで微細な動きが調整可能となることを明らかにし、環境の中での身体動作の調整が重要であることが示されました。
このように、各領域では、同時的に二元論からのパラダイムシフトが起こり、人間と環境を独立したものとせず、人間は環境の中で身体運動を調整しながら行動することで、空間を相互浸透的に認知する、という考え方が生まれました。このような晴眼者の空間認知に関する各領域の研究の動向によって、視覚障害者の空間認知についても、独立した要素の集積としての世界ではなく、動きを伴うシームレスな世界として書き換えられる可能性が浮かび上がってきました。
視覚障害者の認知を助ける空間
平井さんの修士設計は、視覚障害者の祖父のための家でした。平井さんは、まず触覚で認知できる立体的な図面を作成し、視覚障害者の方々にアドバイスをもらいながら設計を進めたそうです。その過程で建築要素の捉え方として重要であったのは、例えば、「壁自体ではなく壁の影が作る熱の境界も情報となること」「窓は、ガラス張りで大きく外が見えたとしても開放感はなく、小さな開口であっても風が入ってくることに意味があること」など、足裏や顔の皮膚で感じることができる要素を散りばめることが、ナビゲーションの役割を果たし得るということでした。平井さんは、現在は博士課程で、自分で環境を操作することのできる自宅を調査対象として研究を進めています。これまでに行った調査で視覚障害者の住環境の特徴として共通していたこととして、主要動線上には家具を配置せず、ラグの端や床温度の変化などの足裏に感覚を与えるものによって位置を把握する仕掛けを構築していたことが挙げられるそうです。また、クローゼットは取手を探すのが困難であるため、スリットがあるものに変え、点を線に転換することで、探索の効率をあげる工夫も見られたとのことでした。
視覚障害者のための空間整備の現状
日本では、バリアフリー新法により点字ブロックや触地図の設置が求められているのに対し、北欧では、歩道の中央のみに敷石を設置することでナビゲーションの役割を果たすものや、天井高を変え反響音の変化で位置を示すもの、水音の出る装置を置くことで曲がり角を示すものなどがあるそうです。平井さんは、解決方法は一つではなく、晴眼者の空間認知のパラダイムシフトを踏まえた視覚障害者の空間認知のあり方を見直し、シームレスな触覚世界の体験へと視点を変換して、常により良いデザインを考えていくことが必要であることを強調していました。また、調査を進める傍、積極的に視覚障害者と新しいデザインを模索する機会をもち、レゴを使って見えない人の家を考えるワークショップを行ったりダイアログ・イン・ザ・ダークにも継続的に関わったりするなど、幅広く活動されています。
Ⅱ.ディスカッション
まず、ある聴講者の方から、視覚障害者を対象とした美術館でのWSで彫刻を触って鑑賞していた視覚障害者が、彫刻の体の部位に触れながら微妙な膨らみの差を感知し、彫刻のモデルが同一人物であることに気づいたという体験談を話していただきました。晴眼者が全く認識できなかった情報を、視覚障害者が触覚をもとに読み取ったことがきっかけで、案内をする人からの一方向の説明ではなく、フラットな立場で互いに認知できるもののズレを楽しむことに鑑賞の目的がシフトしたそうです。
他の聴講者の方からは、一定期間ほぼ毎日、半日を視覚障害者と過ごした際、視覚障害者の方がタクシーの運転手に曲がる位置や方向を的確に指示していたことに驚いた、という出来事を話していただきました。平井さんからも、視覚障害者の方がバスに乗っている際、身体にかかる微妙な重力の変化によって目的地に近づいたことを知るということ、その場に身を置かないと認識できない情報があるということをお話しいただきました。
また、バリアフリー、ユニバーサルデザイン、インクルーシブデザインの相違点についても活発な議論がありました。平井さんはバリアフリーの「視覚障害者も晴眼者と同じように生活を可能とするために、バリアを取り除こう」とする考えに対して、バリアの存在が前提となっていることを疑問視したのがユニバーサルデザインであり、インクルーシブデザインは、様々な特徴を持つ人の特性をアイディアとして取り込むことで新しいデザインに繋げるという考えに基づいたものだと説明します。これに対し、ある男性は、バリアフリーは空間の機能を規定した上にデザインを加えるため、構成された空間では、子供の創造性を抑制してしまうことにもなりかねず、「子供のために用意された空間よりも、機能をもたない彫刻が散在した庭の方が、子供はより楽しそうに振舞う」といった、デザインの秩序化と創造性に関する議論まで展開しました。
他にも、視覚障害者にも晴眼者のようなマイクロスリップは起こるのかという質問に対し、平井さんから、例えばドアノブをつかむ際に一気に指で掴みに行くのではなく、まず手の甲を使ってそれらしきものを探り、ドアノブのようなものに触れたら指を使う、といった段階的な探索を行っていることが、環境と身体の間を微細に調整する晴眼者のマイクロスリップに近いかもしれないという回答をいただきました。そこから、音の変化は、広さや方向性を知る手段としては効果的だが、触覚と異なり、不明確で他の情報の統合が必要であるなど、視覚障害者の空間を認知する過程や詳細についての議論も展開しました。
また、晴眼者が空間を移動する際、全体像を思い浮かべて座標をもち、移動することがある一方で、視覚障害者の方はどのように空間を思い浮かべるのかという質問に対して、平井さんから、空間を俯瞰し図面的に認知する晴眼者の「地図」ではなく、ミクロネシアの海図のような自分の現在地と対象との部分的な関係が重要であり、空間全体でなく時間で解体される体験のセットが重要であるという論点を話していただきました。
普段、建築を専門としている方・より人間に近い空間デザインを専門とされる方・美術や展示を専門とされる方、全く別々のベクトルから、『「みえない」からかんがえる建築のかたち』というひとつのテーマのもと展開した議論では、各分野だけでは起き得ない化学反応が起きたように感じられました。今回、平井さんより視覚障害者の空間認知をお話しいただいたことで、普段自分が目を留めなかった世界を覗いてみると、そこには多くのデザインのヒントが隠されていることにも改めて気づく機会にもなりました。「見えない」というひとつの論点から、些細な行動や現象も空間を変容する要素となり得ることを学び、建築と人間の認知間のインターフェイスを考えることによる空間の拡張性に、とても可能性を感じさせられる回となりました。
(花輪優香)